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TOKYO KIMONO STYLEについて
スタッフプロフィール
店主:YUKOプロフィール
こんにちは。TOKYO KIMONO STYLE YUKOです。 こちらでは、私のプロフィールを紹介します。 |
1970年: |
長崎県に生まれる。バスが2時間に1本しか来ないど田舎で、ワイルドに育ちました。 年が離れた兄姉がいたせいか、何かと物知りで可愛くない子供でした。 5歳なのにあだ名が”博士”。 たぶん人生の中で一番賢い時だったと思います。 (2歳・舗装されていない道路。転ぶとエライ目に会いました) |
1978年: | お友達がみんなピアノを習う中、なぜか絵画教室と剣道教室に入る。 でも今思えば、面倒な剣道着や防具に慣れてたおかげで、着付けを抵抗なく覚えられたのかも… |
1981年: | 小学5年生。カルチャークラブのヴォーカル、ボーイ・ジョージにハマり、洋楽と奇抜なおしゃれに目覚める。将来の夢は”ヒッピーになること”と本気で思っていました。 |
1985年: | 中三の夏休み、姉を頼って東京へ。女子大生と偽りファミレスと歌舞伎町のクラブで2週間ほどバイト。 サービス業の基本を学びました。 その稼ぎは子供らしく「原宿Live」の鉄腕アトムグッズに消えましたが… |
1986年: | 高校入学。バイトに明け暮れ、その稼ぎの全てをおしゃれに注ぎ込む少女時代でありました。 この時、アンアンのおしゃれグランプリに掲載される←一生に一度の自慢です。 いつか歌手になるんだと思い込み、バンドのヴォーカルもやってましたが、本番に弱くてオーディションではまるで唄えず、各教室を巡業するだけの歌姫でした。 |
1989年: | 高校卒業の翌日、老舗タウン情報誌の編集部におしかけ入社。 おもにミュージシャンのインタビューと表紙のスタイリングを担当。 大好きなシーナ&ロケッツ、サンハウスの柴山さん、B’zに会えるわ、湯布院やらいろんなとこに経費で行けるわで数々のおいしい思いを経験するも、夜なべ仕事で体はボロボロ…。 |
1990年: |
20歳の時、成人式のきものを見に行った展示会で、従来のきもののイメージを覆すカッコイイ色無地に出会う。
当時、金髪で超ショートのおサルだった(愛読書はCUTIE)私に、わずか3分でこの渋〜いきものを着付けてくれたマネキンのおばちゃんは、今思えばなかなかあかぬけた感覚の持ち主だったと思います。 振袖ってガラじゃなかったとも言えるけど。 おかげで人生変わりましたからね。 結局、式には出ず(親にはナイショ)NHKのイベントでラガマフィン(レゲエ調ラップ)の歌を唄いました。 これまたあがってまるでダメ… その後、やっぱり入院して長い療養生活に入る。 |
1992年: | 長崎初のインディーズブランド(SUPER LOVERSなど)を扱うショップを企画、なりゆきでそのまま販売員に。 この頃から自己流で着付けを覚え、浴衣を友達に着せたりしてました。 |
1994年: |
心機一転、上京して大手きもの小売業の会社に販売員として就職。 時代がよかったのか、何十万のきものがぽんぽん売れる毎日!!! つられて私も、あてもないのにお嫁入り道具と称して収入のほとんどをきものに投資。 おかげで海外旅行に行った事は1度きり。 しかも時差ナシ…。 3年目を過ぎた頃からは社員研修の講師、5年目からはオリジナルブランドの企画も担当。 TVドラマの衣装貸出、雑誌の撮影&スタイリングと面白い仕事もさせて頂くようになって、きものを売るだけではなく”ひとときもののコーディネイト”こそが大事なのだと考えるように。 |
2001年: | そしてまたまた働き過ぎ。体を壊して入院した事を機に退職。フリーのきものコーディネイターに。 インターネットのきものショップを手伝ったり、展示会のマネキンであちこち巡業。 |
2003年: | 自宅でエステサロンを始めた友人に触発され、PC初心者にもかかわらず自力でウェブサイトを立ち上げ(※現在はwebデザイナーのtomo様に制作して頂いています)。
会社員時代にお世話になった問屋さんの応援もあって、”おしゃれ着としてのきものの着方や選び方を伝えたい”と、TOKYO KIMONO STYLE をスタートしました。
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